北風の吹く、寒い朝になりました。
いろいろな出来事があった令和4年もあとわずかになりました。
今年も終業式は全校生徒が一堂に会すことなく各教室にて放送を通して実施することとしました。早くコロナ禍が終息することを願うばかりです。
校長の式辞です。
おはようございます。
今年もコロナ感染防止のため、グランドで全生徒が集合する形でなく、放送で各教室で行うことにしました。校歌を歌う機会が無くなっているので、3番までのフルバージョンで演奏しました。市邨の伝統を受け継ぐ気持ちを持ってもらいたいと思います。
今年もいつの間にか一年の終わりになりました。
昨日は冬至でした。冬至とは、一年中で一番昼が短く、夜が長い日です。ですから今日からは一日一日と昼が長くなり、夜が短くなる、昔の言い方をすれば、陰から陽に替わる日ということです。
今年は様々なことがありました。歴史に刻まれる年になると思います。
世界中にコロナが蔓延して3年目になります。未だに終息しません。
2月にはロシアがウクライナに侵攻し、長期にわたる紛争が続いています。来年 には収まるといいのですが。
このため世界経済は大きな打撃を受け、各国ではインフレが進み、日本では記録的な円高になってしまいました。この戦争は情報とエネルギーの戦争と言われています。情報というのは、ウクライナに侵攻する一月以上前から、互いにサイバー攻撃が始まっていたと言われているように最先端の情報技術を駆使した戦いになっているからです。エネルギーというのはロシアからヨーロッパに供給していた天然ガスや石油の流れが一変し、エネルギーを確保することが戦争そのものだからです。核戦争の危険もはらんで、独裁国家による情報とエネルギーの支配は世界の破滅をもたらすことがはっきりしてきました。
更に7月には選挙期間中に安部元首相が暗殺されるという異常事態が起きました。その原因としてカルト宗教の政治への影響が明らかになりました。宗教がどのように政治に影響していたのかを考えると憤りを感じます。戦争前から続く忌まわしい過去です。
11月8日には、皆既月食がおきました。月が地球の影にすっぽりと入る現象です。天王星が月に隠されるという、天王星食も一緒におきました。442年ぶりということです 。
そして、つい一週間前の12月16日に政府は新たな「国家安全保障戦略」を定めると発表しました。敵基地反撃能力を持つために、防衛費を1.5倍にし、そのために税金を上げるというものです。
確かに、その文章の冒頭にあるとおり「国際社会は時代を画する変化に直面している」と云う状況となっています。北朝鮮がミサイル発射実験を繰り返し、ウクライナ戦争によって日本はロシアの敵対国になっています。中国は台湾侵攻のシナリオを描き、海洋への進出を進めています。このような日本を巡る危機はかつてからあったものですが、ウクライナ戦争によって緊張がより高まっているといえます。だからといって日本の取るべき政策は武装力の増強だといえるのかどうか。軍事力の増強には切りがないのではないか。それよりも相互理解を進めることが必要なのではないか、というような議論と検証が大事だと思われますが、議論が進んでいないのが現実です。
このような政治の話が学校で話されることはほとんどありません。学校は政治に対して中立であるべきだからです。それはその通りで、先生が生徒を教育によって洗脳すべきではありません。先生は自分の考えを生徒に押しつけてはなりません。しかし、生徒は政治に ついて自分の意見を持たなければなりません。私は生徒に政治に興味を持って欲しいと思っています。
今年の4月1日から成人年齢が引き下げられました。すでに選挙権年齢は18歳になっていますが、さらに親の同意を得ずに住む場所を決めたり、進学や就職などの進路も親の同意を得ずに決められたり、携帯電話の契約をしたり、クレジットカードを自分の意思で作れたりします。その代わり、全ての責任は自分で取らなくてはなりません。民法上18歳になれば大人として自分で自分の権利を行使し義務を果たさなければならないのです。選挙権があるということは、政治に責任を持つと云うことです。すべての国民は政治に対して責任を持たなければならないのです。そのような能力はどのようにしたら身につくのでしょうか。18歳にたったら自然に身につくのでしょうか。そんなことはあり得ません。政治について考え、判断するからこそ正しい判断力が身につき大人としての責任ある選択ができるのです。SNS等で得られる情報は、自分の考えに近いものが配信されるなど偏りがちです。正しい情報を受け取るためには適切な判断力が必要です。
だとすると、学校では政治について話してはならないというのは誤りです。そのためには、正しい判断力を身につけるための学習が必要です。どうやったら正しい判断ができるようになるのか。その第一歩は自ら考える力をつけることです。先生に教えられるとおりのことができるようになるのを目指すのではなく、何を考えるのかについても、自分で考え自分で行動することが必要です。そうでなければ、先生が云うとおりの政治選択しかできません。それは洗脳です。そうではなく、自分で考え自分で判断する力を養うこと、同時に、自分が責任を取らなければならないことを充分に理解することが必要です。それ以外に政治に関与することはできません。それができるように、学校で身につけるべき最大の能力は、自分で考え、自分で行動する力なのです。正解を求めて勉強し、いい成績を取ることが学ぶ目的ではありません。政治の問題には、正解はありません。歴史の上では結論が出たとしてもそれは正解とは限りません。
先生に教えられるのを待っているような態度では、自分で考える力はつきません。教えられるのを待つのでなく、自分で学ぶことを見つけ、自分で解決しようとする態度が必要です。
先生はその手助けをするだけです。自ら学ぼうとしないものに、考える力はつきません。あなた方には貪欲な好奇心があるはずです。何かを求める心の炎があるはずです。それがない青年は化石的青年に過ぎないと市邨先生は言いました。化石的青年になるな、憤りを燃やせ、自ら考えよと。
私たちは、なんのためにその様な考える力が必要なのでしょうか。それこそ私が言うのではなく、自分で考える必要があるのかもしれません。
私は、この現代の危機的状況にあって、世界を救うためだ、と考えています。自分のまわりの全ての人のために幸せをもたらすこと。市邨先生の言う「犠牲的精神」です。人の為に尽くすことであり、またそれは自らの未来をつかむためのものでもあります。「桜は桜、松は松たれ」、されど犠牲的精神をもって、世界にでよ。「世界は我が市場ならずや」
あすから冬休みです。体調管理を十分にして、健康で過ごしてください。
与えられた課題だけをこなすのではなく、自ら追い求める課題を見つけ、解決方法を考える、その様なチャレンジャブルな新年にしましょう。
部活動や進路実現に向けて充実した年を迎えてください。