暖かい春の日差しの下、令和4年度卒業証書授与式を挙行しました。
本校の記念体育館が改修工事中のため、名古屋市公会堂をお借りして開催しました。歴史ある建物と、本校の厳粛な卒業式がマッチして、素敵な思い出深い式になりました。
卒業生、保護者始め関係の皆様に感謝申し上げます。
校長式辞です。
厳しい寒さがようやく終わり、春の光あふれるこの佳き日に、名古屋経済大学市邨高等学校第114回卒業証書授与式を挙行 できますことを心より嬉しく思います。
卒業生の皆さん、卒業おめでとうございます。また、この晴れの日を心待ちにしておられた保護者の皆様にお祝いを申し上げますと共に、これまでの本校へのご支援に深く感謝申し上げます。
コロナ禍の卒業式はこれで4回目となりますが、未だに新型コロナウイルス感染症は終息しておりません。今年は、ようやく保護者の方々にご列席いただくことができました。さらに、式場として、改修のため使用できない体育館に代えて、名古屋市公会堂をお借りすることができました。想えば、皆さんが入学したときは、このように全員が一堂に会することができず、クラス毎に教室に集い、放送によって入学式を行いました。その時、私たち教職員にとっての最重要課題はいかにして入学後の「学びを止めない」かにありました。そのためには全員に速やかにiPadを配布し、学習に必要なアプリを使えるようにすることが必要でした。入学式後に直ちにiPadを配り、次の日から全国的に休校となったのですが、あえて臨時出校日として登校してもらい、アカウントの配布やMetaMoji等のアプリを配布したのです。このような先生方の素早い措置と、生徒の皆さんの驚くべき対応力のおかげで、その後のオンライン授業が可能になり、体育などの実技科目を含めた全ての授業と朝のSTやホームルーム、個別懇談までオンラインで行うことができました。全校挙げての協力体制によって、本校は夏休みを短縮することなく、体育祭や文化祭などの学校行事も全て開催し、他校に類を見ない形で「コロナに負けない」学校運営が可能になったのです。特に修学旅行は、延期を繰り返しましたが、学年を3ブロックに分け、9月から10月末までの実施可能な期間を粘り強く探った結果、実現することができました。今でも脳裏に浮かぶのは、鮮やかな紅葉の道を抜けると眼前に迫る噴煙をあげる十勝岳連峰の雄姿です。
皆さんの学年は決して「コロナ世代」と言われるような何かが失われた世代ではなく、これまでにない世界を経験しそれに耐えて新しい世界を築くという世代だと思います。
21世紀になって20年が過ぎ、世界の枠組みがさまざまな綻びを見せていたところに突如コロナウイルスが出現し、世界中の人々の日常生活は崩壊しました。さらに、昨年の2月に始まったロシアによるウクライナ侵攻、ウクライナ戦争によって世界は深刻な危機に直面しています。コロナ禍とウクライナ戦争は時代の流れを無理矢理ねじまげてしまいました。そして、先月6日に起きたトルコ・シリア大地震は、死者が5万人を超え、100万人以上が避難生活を強いられるという未曾有の大災害となっています。私たちが想っているよりも世界はもろく、そして私たちの身近なところに存在しています。世界のどこで起きている危機でも瞬時に我々の危機に繋がっていると感じます。世界はもはやこれまでの日常の延長線上にはありません。そして、世界がこれからどうなるのか、我々はこれからどうすれば良いのか、誰も教えてはくれません。教えることができないのです。未来を生きる若者は自分という視点を持って、自分の力で未来を創り出さなければならないということです。
不確かな未来は、少しずつ確実にやってきています。昨年の11月にMicrosoft傘下のOpenAI社から発表されたChatGPTという一種の人工知能が注目を浴びています。英語でも日本語でも質問をすれば、答えてくれます。Googleの検索は時代遅れになるといわれています。私たちがいま 目にしているのは、「AIが学習し、人間はスマホを見る」という光景です。考えるのはAIで、寸秒も休まずディープラーニングという学習によってあらゆる知識をため込み、人間はそれをスマホで検索するだけというのです。考えるのを止める人々、判断するのは機械という近未来はすぐそこに来ています。このような、AI(人工知能)による私たちへの瞬間的な知識の供給は確実にシンギュラリティへの道を進んでいると言わざるを得ません。それはまさに機械が人間を越えるというシンギュラリティそのものです。その先に待つ未来は幸せな未来でしょうか。
学校では、このような先が読めない社会で、生徒が変化に対応し、たくましく未来を生き抜く力を身につけてほしいと教えてきました。生徒自身が、歴史的な視点をもって、今何が起こっているのかを正しく認識し、自分の意見を持ち、これからの世界をどう生きるか、自らの未来をどう切り拓いていくかを考える力を育みたいと願ってきたのです。
皆さんは、市邨高校の授業で、例えば、世界史について調べ、時事問題について意見を述べあい、国語では言葉による表現を身につけ、英語でコミュニケーションすることで異文化を理解し、情報リテラシーを身につけることによって、世界で起きていることを瞬時に知るテクノロジーを習得してきました。学校で学んできたのは、まさに未来に向かう力をつけるためでした。学校での学びは、単に入学試験をクリアするためでなく、未来を切り拓いて生きる力を得るためです。
市邨芳樹先生は100年前に「学生の勉学は単に試験の為にあらず、智を磨き徳を修むるを楽しむに至りて、最も善く修学の目的を達するを得べし」と言いました。学びの目的は人としての品格を高めるために有り、学ぶことが楽しいと感じる境地に達してほしいと願っていました。
昨年10月に常滑の国際展示場で開催された”SDGs Aichi Expo2022”という催しで、本校のSDGsボランティア有志メンバーがユネスコ委員会の代表として、愛知県下のユネスコスクール交流会に参加しました。私はその格調高い発表を見、その後のシンポジウムでの信頼感あふれる発言を聞いて、他校の生徒達をリードする市邨生の存在感を感じました。もちろん彼女自身の理性と優しさという個性の表れだったのですが、私には、あの場の雰囲気をリードし、自分たちの活動への信頼感を抱かせたのはまさに市邨精神とSDGsの理念の融合という象徴的な姿だったのではないかと思えたのです。市邨生と市邨の教育活動を誇らしく思った出来事でした。これからの社会は間違いなく君たちの手の中にある、君たちこそ未来の担い手だと信じることができました。
市邨での学びは、市邨芳樹先生のいう「各自の天禀(てんぴん)に適応し、精励以て特色を発揚し、而して無名の英雄たるに甘んぜよ。」という一節に込められています。市邨での学びは「自分の生まれながらの特性を如何なく発揮し、自分だけが知るかけがえのない努力」そのものだったと言えると思います。その価値はあなた方自身が最もよく分かっているところです。
市邨精神の大きな柱である、犠牲的精神について、市邨芳樹先生は、「犠牲的精神を以て天職を尽くすと云うこと」がいかに大事かを卒業式のたびに生徒たちに話したといいます。「人生の進むべき道というのは、人の為に尽くすということにある、それがどうしようもなく仕方がないからするのでなく、自ら楽しんで人の為に尽くすことが肝心である」と教えたのです。人の道は犠牲的精神にこそある、見返りを求めず、自ら楽しんで人の為に自分を投げ出そうではないかと呼びかけたのです。
困難な社会にあって、本校の学校としての使命は、”それぞれの個性を磨き、能力を伸長し、人のために尽くす人物を育成する”ことにあると思っています。
私は市邨精神に出会い、時代を越えて学校の本質を問い続けるその理念に打たれました。私も君たちと同じくこの3月で市邨を去りますが、市邨精神は常に私たちと共にあると感じています。市邨に学んだことを終生の誇りとして、「終身教育」を全うしようと思います。
今日君たちは、市邨での学びを胸に、誇りをもって巣立ってください。
結びに、餞(はなむけ)の言葉を送ります。このような世界の秩序が危うくなった、混沌とした時代にあっても通用する言葉です。
「起てよ、憤りを発せよ。有用の人たれ。活舞台に於いて活躍する活人物たれ。世界は我が市場ならずや」
令和五年三月一日
名古屋経済大学市邨高等学校長 澁谷有人