本校のOGで外部指導者の増田智実コーチとの何気無い会話の中で、先代顧問である永田勝利監督の話になりました。現在の市邨陸上競技部は初心者ばかりですが、その昔(30年ぐらい前)は「陸上をやっていて知らない人はいない」と言われるぐらいの強豪校でした。そんなハイレベルな陸上部を率いていた永田監督は、チームスローガンとして『初志貫徹』を掲げていたそうです。どうして『初志貫徹』をチームスローガンに掲げたのかは、すでに永田監督が故人である以上確認する術はありません。ただ増田コーチ曰く、永田監督は日頃から生徒へ「自分の成長過程に見合った目標を設定し、その実現に向けて必要な努力を行いなさい」と指導されていたそうです。
もちろんこのエピソードが初志貫徹を掲げた理由に直結するのかどうかは分かりません。ただ私はこのエピソードを聞きながら、社会科の教員として似た言葉を思い出しました。それは室町時代に能役者として活躍した世阿弥(ぜあみ)の「初心忘るべからず」という言葉です。今でこそ能楽は伝統芸能となっていますが、室町時代の当時は新興芸能であり、多くの役者が芸を競い合っていました。つまり芸能が競技 だったわけです。世阿弥は他のライバル役者たちと競い合い、権力者の足利義満に実力を認められることで一度はトップの座に君臨しましたが、次第に若手のライバル役者にトップの座を奪われていきました。その後世阿弥は自分の後継者を育てるために多くの書物を書き残し、役者として大成するために必要な思想を伝えようとしました。そのひとつが「初心忘るべからず」でした。この言葉は「物事を始めた時の志を忘れてはならない」という意味で一般的に普及していますが、実際の世阿弥の考え方はもう少し違うものだったそうです。世阿弥は「初心」について、役者の人生プロセスの中に「何度もあるもの」と考えていたようです。具体的には年齢レベルに応じてそれぞれの初心があると考えていました。若い頃(20代)の初心、中年(40代)の初心といったものです。言い換えると、役者人生という長いプロセスの中に各段階における壁があり、その壁ごとに各々の初心があるということです。世阿弥はこの各々の初心を忘れて努力しない人間に役者としての成長は無いと語ったと言われているそうです。
話がかなり長くなってしまいましたが、簡単にまとめると、私は永田監督の掲げたチームスローガンの『初志貫徹』とは、世阿弥の言葉の「初心忘るべからず」に近い思想なのではないかと推察します。
ちょうど市邨陸部のチームスローガンを決めかねていたところなので、それについても『初志貫徹』でいきたいと考えています。
<参考文献>
土屋惠一郎 『NHK「100分de名著」ブックス 世阿弥 風姿花伝』 NHK出版 2015年