令和4年度名古屋経済大学市邨中学校第76回卒業証書授与式を挙行しました。
例年よりも少し遅い日程で行われましたが、おかげで前々日のOpen Day に3年生の発表の機会を設けることができました。卒業前に素晴らしい学びの場が設けられたと思います。
ここ数日は4月並みの暖かさで、校庭の桜はもう5分咲きです。いつもは入学式に診られる光景でしたが、祝福するかのように卒業式に前倒しとなりました。
卒業生は、3年前の コロナ禍のために小学校の卒業式も行われなかったということで、初めての卒業式を経験することになりました。厳粛な雰囲気の中感動的な卒業式となりました。
校長式辞です。
校庭の桜も咲き始め、一段と春の訪れが感じられる季節になりました。本日ここに名古屋経済大学市邨中学校第76回卒業証書授与式を挙行できますことを心よりうれしく思います。
卒業生の皆さん、卒業おめでとうございます。また、この日を心待ちにしてこられた、ご家族の皆様に心よりお祝いを申し上げますとともに、この三年間のご支援とご協力に深く感謝申し上げます。
いま社会は激しく動いています。3年前にコロナ禍が波のように押し寄せ、そして引きつつあります。昨年にはロシアがウクライナに侵攻し世界は戦争の危機に直面し、経済は混乱しています。そして先月、トルコ・シリア大地震が発生し死者は5万人を超え、数百万人が避難生活を送っています。
地震や感染症という自然災害にくわえて、戦争という人間同士の争いも予測不可能な未来に拍車をかけています。昨日までの常識が今日は覆され、安全だったはずの日常が突然危険きわまりない不安定な世界に変わる現実を突きつけられています。
果たして2030年 の未来は来るのか、2040年の未来を担う若者は現在をどのように生きれば良いのかを考えるとき、君達若者に求められているものは非常に大きいのです。
9年間の義務教育を終えた皆さんは、社会のために大きな一歩を踏み出さなければなりません。
皆さんは、入学式の直後から臨時休校となり、その後約二ヶ月にわたって、学校で勉強できませんでした。
オンライン授業ができたとしても、なかなか勉強することができず、辛い思いをしたことと思います。それとも、「勉強は嫌いだったから、ちょうど良かった」と思いましたか。いずれにせよ、皆さんは、なんとか自分なりに勉強に取り組み、自分なりの勉強を始めました。入学式直後に渡されたiPadを使って、オンラインで結ばれて授業を受けたとき、何とか学校との繋がりができて少しホッとしたのではないでしょうか。
その時、家では、自分なりの工夫をして机に向かい、勉強する体制を作ったと思います。自分から意識して勉強することを求められた。そうしないと、逃げ出しそうな自分がいた。しかしオンラインで先生や友達と繋がることによって、勉強を始めることができたのではないでしょうか。学校にいるときのように強制力が働かなくとも、君たちは勉強を始めることができました。自分から勉強を始めることを経験しました。このことは他の年代の人たちと違うところで、それはマイナスではなくおおきなプラスの財産なのです。君たちは、自分で勉強するという学びの感覚ができているのです。君たち には、好奇心があって、学びたいという意欲があって、そして確かに学んできた、その感覚を大事にしてほしいと思います。自ら学ぶという感覚は、貴重なものです。
勉強とは、本来自分でするものなので、高校に行っても自ら勉強するという感覚は手放してはいけません。人に頼らず、先生にも頼らず、自分で勉強しようとなって初めて、友達からの刺激や先生からの助けが生きてくるのです。
皆さんはこの3年間全国的にも最先端の学びを体験して来ました。文房具としてiPadを使いこなし、充実したICT教育の環境を生かして、自分の頭で考え、自分を表現し、友達と協力して学び合うことができるようになりました。他の学校にはない学びが市邨にはあり、自分の成長を実感する中で、そのことがどれだけ貴重か分かっています。自分で課題を見つけ、自分で考え、自分で判断し、仲間と協力して解決する、これこそが、予測できない未来を生きる方法です。
一昨日の Open Day では、この様にして得られた3年間の力が成果としてプレゼンテーションに表れていました。部活で成長したこと、授業で成長したこと、プレゼンテーションで成長したことなどを自分の目線で自信をもって発表してくれました。この3年間で習得したICT技術を駆使しての立派な発信でした。ゼミやLanguageArts、イングリッシュキャンプ、修学旅行、体育祭、ダンスレッスン、部活動などで皆さんがよく楽しみ、よく学んだことがわかりました。これらが単なる楽しい思い出として残っているのではなく、皆さんの学力を高め、自信を深 め、人格を磨くことに繋がっていると確信しました。
皆さんは、宮沢賢治を知っていますね。小学校の教科書では、「やまなし」、「よだかの星」などの作品が載っていますし、「銀河鉄道の夜」や「風の又三郎」などの児童文学、高校では、「永訣の朝」、「春と修羅」などの詩が教科書で扱われています。詩人あるいは童話作家としてよく知られています。実は彼は、教員でもありました。今から100年前に岩手県立花巻農学校に勤めました。わずか4年半のことでした。この4年間の教師としての彼の教育実践は型破りで多くの生徒達を夢中にしました。その影響は現在の花巻農業高等学校に今も残っています。
彼が教員時代に書いた「農民芸術概論綱要」には、皆さんが聞いたことがある様な有名な一節があります。
「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」
「正しく強く生きるとは銀河系を自らの中に意識してこれに応じて行くことである」
「おお朋だちよ いっしょに正しい力を併せ われらのすべての田園とわれらのすべての生活を一つの巨きな第四次元の芸術に創りあげようでないか」という壮大なもので、最後に、「われらに要るものは銀河を包む透明な意志 巨きな力と熱である」と結ばれます。
これらの言葉は今もいろいろなところに句碑が立てられ残っています。
同じく教員時代に書いた「春と修羅」という詩集は、「わたくしといふ現象は仮定された有機交流電燈のひとつの青い照明です」から始まります。「四月の気層の光の底を、唾し、はぎしりゆききする、俺は一人の修羅なのだ」 私に衝撃を与えました。
そして「生徒諸君に寄せる」という詩をノートに残しています。
「新らしい風のやうに爽やかな星雲のやうに透明に愉快な明日は来る」
「諸君はこの颯爽たる 諸君の未来圏から吹いて来る 透明な清潔な風を感じないのか」
私は、宮沢賢治のこれらの言葉や、当時の最先端の自然科学を学び、農民の為に自分の命を燃やし尽くして病に倒れた生き様を知って、教員になろうと思ったのです。
そして、教員として最後に勤めたこの市邨中学校・高等学校で市邨芳樹先生に出会い、その市邨精神の中に、私は、賢治の心を見ました。
「桜は桜、松は松たれ。各自の天禀に適応し、精励以て特色を発揚し、而して無名の英雄たるに甘んぜよ。」
宮沢賢治の生涯はまさに、犠牲的精神そのものといえます。
「抑々犠牲的精神の神髄は、楽しんで我が一身を犠牲に供すると云う所にある。かうしなければならぬからと、拠なく我が一身を投げ出すと云う様な訳では無い。」
そして次の一節に、賢治の詩を思わせるリズムを感じています。
「起てよ、憤りを発せよ。有用の人たれ。活舞台に於いて活躍 する活人物たれ。世界は我が市場ならずや。」
素晴しい出会いだったと思います。市邨先生と賢治は私に、生徒一人ひとりに、宇宙の中の一人の人間として、持って生まれた能力を磨きあげ、人の為に生きる人生を歩むことを教えてくれたと思います。
皆さん、卒業は、終わりの時ではありません。むしろ、新しい出発の時です。皆さんがこの3年間中学の学びの中で見つけた課題はまだ解決されていません。これからの予測できない未来の中で、もっともっと大きな課題が出てくると思います。同じキャンパス内であっても、高校に進めば見える景色は違ってくるでしょう。友達関係も変化します。大きな変化の中で、新たな世界が見つかると思います。そこにはきちんと自分の頭で考える君たちがいて、自分で行動して、困難に打ち克って生きて行く君たちであってほしい。
皆さんには可能性に充ちた未来が待っていると信じています。
最後に、賢治の詩、「生徒諸君に寄せる」から、その一節を餞として贈ります。
「むしろ諸君よ 更にあらたな正しい時代をつくれ
宙宇は絶えずわれらに依って変化する」
「新たな詩人よ 嵐から雲から光から 新たな透明なエネルギーを得て
人と地球にとるべき形を暗示せよ」
令和五年三月十七日
名古屋経 済大学市邨中学校長
澁谷有人