学園の沿革History

創立者 市邨 芳樹

創立者 市邨芳樹

一に 人物、二に 伎倆。

“ 一に人物、二に伎倆 ”は、そもそも本学の教育は「人」を作ることにあり、知識や技能を身につけることはもちろん、それ以上に、人間の尊厳を第一とし、人間性を高め、品格の備わった「人物」 を目指しています。

“ 桜は桜、松は松たれ ”の言葉には、それぞれの個性を尊重し、生まれついての才能を伸ばすという強い思いが込められています。 やがて社会で活き活きと活躍する人物となり、“ 世界は我が市場ならずや ” として、世界に飛躍する人物となることを願っています。

すでに110年以上前に、市邨芳樹先生は、現代の教育改革の理念を唱えていたのです。

“学生の勉学は単に試験の為にあらず、智を磨き徳を修むるを楽しむに至りて、
最も善く修学の目的を達するを得べし ”

  • 学園長 末岡 熙章

  • 理事長 末岡 仁

創立者・市邨芳樹(いちむらよしき)は、現在の広島県尾道市に生まれ、幼少の頃より学業にいそしみ、15歳の時広島県からの官費留学生として東京商法講習所(現在の一橋大学)に入学し、校長矢野二郎の薫陶を受け優秀な成績で卒業、故郷広島で20歳にして尾道商法講習所(現在の県立尾道商業高等学校)を設立とともに所長兼教諭としてその後50年にも及ぶ商業教育の実践をスタートさせました。その後、名古屋商業学校(現在の市立名古屋商業高等学校)に赴任、校長としてその発展に尽力した後、常に心に抱いていた女子への本格的な商業教育を実践するため、明治40年(1907年)、名古屋女子商業学校(現在の名古屋経済大学市邨高等学校)をわが国初の女子商業学校として設立。大正12年には教育の機会均等の精神を実践するため、名古屋第二女子商業学校(現在の名古屋経済大学高蔵高等学校)を設立。両校は市邨の卓越した理念に基づく教育により発展を遂げ現在に至っています。 市邨は惜しまれつつも昭和16年1月1日、この世を去りましたが、現在でもその業績は広く知られ、「女子商業教育の父」として称えられています。

どの時代をも輝かせていた市邨学園の歴史

  • 明治

    1907明治40年

    創立者市邨芳樹が全国に先がけて女子商業教育の確立を意図し、名古屋女子商業学校を開校

  • 大正

    1923大正12年

    名古屋第二女子商業学校を設立

  • 昭和

    1945昭和12年

    財団法人市邨学園を設立 / 戦災により名古屋女子商業学校校舎焼失

  • 1947昭和22年

    学制改革に伴い呉竹中学校を設立

  • 1948昭和23年

    学制改革により、名古屋女子商業高等学校、名古屋女商中学校と改称

  • 1951昭和26年

    学校法人市邨学園に組織変更

  • 1965昭和40年

    名古屋女子商業高等学校に普通科を設置 / 市邨学園短期大学(商経科・家政科)を開学

  • 1968昭和43年

    市邨学園短期大学附属幼稚園を開園

  • 1972昭和47年

    市邨学園高等学校・市邨学園中学校と校名変更

  • 1983昭和58年

    市邨学園大学を名古屋経済大学に校名変更および男女共学に移行

  • 平成

    1996平成8年

    市邨学園創立90周年

  • 2000平成12年

    名古屋経済大学大学院(法学研究科)を開学

  • 2002平成14年

    名古屋経済大学市邨高等学校・名古屋経済大学市邨中学校と校名変更および男女共学に移行

  • 2006平成18年

    市邨学園創立100周年

  • 2017平成29年

    市邨学園創立111周年を迎える